白雲の道治療院

白雲の道治療院は、鍼灸術と量子場調整を用いて心身の健康面の向上、さまざまな症状や機能の向上、能力の増大に努めております。

白雲の道で美しく健康な体を!

[No.271]ちょっとした一撃
2004年06月29日(火)

6月29日(火)天候晴れ
最近ちょっと難しいことを書いてしまったようだ。獣医師や西洋医学をちょっとした悪者にしてしまったことも反省している。
おかげで一日に10件近くの嫌がらせメールやウイルス入りのメールを送りつけられてほとほと参ってしまったが、今はこれを逆に考え、この日誌を読んでくれている人が思いのほか多いことに気を良くしている。
本音でものを言うと、ひどい目にあう社会がいまだ健在のようだが、これは一般の考え方の中にもある気がする。
例えば、患者さんがつらい痛みや症状を訴えてやってきたとする。この時つらいのはわかっているが、その症状にとらわれることは、あまり良くない事なので「大丈夫、こんなのはすぐに治りますと言うと、あなたはわかっていない。私がどんなにつらい思いをしているか理解できないようだという不満な顔になる。
だが、逆にこれは大変だ。よくここまで我慢しましたね。もう少し遅れたら大変なことになっていたと言うと、あなたは名医だと言う。
同情されて病気が治るかと言うとそうでもない。その事で病気と仲良くなる事はあっても、治りはしない。治ると言うのはその症状から気持ちが離れることで癒しが起こるのだから。
ちょうど、疲れた筋肉を大変なコリがありますね。と言ってやさしく、時には強く揉むとその気持ちの良さにうっとりとしてうまい治療師だと言って帰る。そしてその気持ちの良さにまたやって来て今度はここも、あそこもとだんだんとコリが増え始め、それに答えるマッサージ師はだんだんとその事に翻弄され、患者さんはちょうどちょっとしたかゆみが何倍にもなったかのように揉み解してもらいたい欲求不満でいっぱいになる。
本物のマッサージ師はこのような事にはならないが、これはどうしたものか。
本当に必要なのは気持ちの良さを満たすことではないが、その感情が満たされない以上、真実に目を向けたくはない気持ちもわかる。
しかし、その感情はどんどんと差し迫ってきてその力は大きくなる一方だ。そのようにして真実は見えなくなる。本当の真実は,はりを刺すようなちょっとした痛みを伴った一撃にあるのだが。
また、誰かにウイルスを送られるようなことを云ってしまったか。