白雲の道治療院

白雲の道治療院は、鍼灸術と量子場調整を用いて心身の健康面の向上、さまざまな症状や機能の向上、能力の増大に努めております。

白雲の道で美しく健康な体を!

[No.102]神権宣言
2003年11月30日(日)

11月30日(日)晴れ
月日が経つのも早いもので、この日誌もいつの間にか100回を越えた。
始めた時から100回を目標に頑張ってきたが、この100回で大まかな提言を殆ど言い尽くしてした感がある。
これからは少し肩の力を抜いて今までの内容を吟味検討しながら補足的に書いて行こうと思う。
ここで提言した内容は独断と偏見に近いものも多くあることは承知だが、この内容がどこかで誰かのちょっとした気づきや突破口になるかもしれないと言う気持ちから書き進んできた。
いろいろと意見の相違もある事は理解しているが私にとって見知らぬ誰かに貢献できればそれで十分なところがある。
こんな所から一つ提唱をしてみたい。
それは全ての人は人権を有するという世界人権宣言を超えて
全ての人は神々になってゆく権利を有すると言う神権宣言だ。
これはこの日誌の個人的な心の内だけのテーマであったが思い切って公にしてみよう。
私たちは観る者と観られる者の法から誰も永遠に支配したりされたりする事は出来ない。どんなに支配したところでどんな時も離れずに寄り添う魔人のような観る者の力はそれを破壊し尽くすことになる。
しかしこの力は幸せや、愛や美と言う高い意識はそれを何倍にも創造して返す両面の力を持っている。では人はその背後に神々のようになってゆくに十分な力を従えてはいないだろうか。
人は支配の中に甘んじるべきでもないし、すべきでもない。支配されることはいつか自分がする事になるがために同じ穴のムジナである事を知るべきだと思う。
もし、私たちが微妙な感情の中毒を認めるなら陰陽の嵐の中に進んで突き進もうとするだろう。そしていつかやってくる昇華の中で忘れていた青い空を見上げる。
それは人権を超えた神権をかけた挑戦になる。それ程の正直で熱い生き方があるだろうか。
人は鶏や家畜に対して支配を行なってきているが、彼ら家畜にも観る者は寄り添っている。彼らの中に鶏のように本能と自由を殆ど奪われている者もいるが、それはいつか人に無意識的なところからその力を及ぼし、人の本能と自由が危うい時を迎えることになりかねない。
そこで、私は鶏を始め多くの家畜や動物に本能の自由を取り戻してあげてもらいたいと思う。言い換えれば動物にも少なくとも人権とまでは言わないが本能の自由を与えるべきだと思う。
本能を奪うと本能が奪われる。それは人と動物の関係でも同じ事ではないだろうか。
101回目の区切り