白雲の道治療院

白雲の道治療院は、鍼灸術と量子場調整を用いて心身の健康面の向上、さまざまな症状や機能の向上、能力の増大に努めております。

白雲の道で美しく健康な体を!

[No.34]希望
2003年09月12日(金)

9月12日(金)天候晴れ猛暑
眠りの中、夢を見ているとしよう。それから目覚めるがその瞬間自分が何処にいるか分からない、それから一瞬おいて昨日の事、今日の予定を思い出し一日が始まる。この3つの状態の中で共通して在るものはなんだろう。
眠りの中には夢がある。目覚めた後には現実感がある。しかし、目覚めた瞬間にはそのどちらもない。だが、この3つの状態の中に共通して在るものがある。それはそれらを観ている意識、つまり観る者だ。
観るものは意識は精神が錯乱して夢のような状況を呈していても、身体がどんな病気になろうと、また頭がボケてしまって人生全体が走馬灯のように移ろいで見えても持続して在るものだ。その事に同意するだろうか。
では前世があったとしてその長い時の彼方と現在に共通してあるものはなんだろうか。それは深い眠りの中でも死にそうな昏睡した意識の中でも、どんなときも決して離れた事がない意識、それが観る者だ。
その観る者は観られる者をきれいにも醜くもする力を持っている事を以前説明した。そして同時にそれは観る者自身の中にも創られる事も説明した。
ならば前世の記憶さえ観られる者を通して観る者としての現在の中に在ることになる。この辺は難しいが納得できるだろう道理と深い古代の叡智がある。ゆっくりと時間をかけて説明してゆくつもりだ。
今日長い間、過去のある罪悪感で苦しんでいる状況を何とかしたいと架空の人Eさんがやって来た。
軽いバランス調整のあと悩みの状況を聞いてみた。
彼女は過去の男性体験の中で二人の子供を堕胎しているとの事だ。この日誌の中で命と言う内容が彼女の何かに触れたらしい。
現在はやさしいご主人と結婚し、一人の子供と平穏無事な生活をしているが、たまにその過去が夫婦生活に割り込んで来ていざかいの元にもなったりする。
自分の中にも脱ぎ去れない思いが重く圧し掛かかっているのをどうしようもないものとして捉えていたが、何か未知な可能性がある気がしてここにやって来た。
私には人生の失格者のような感じがあってそれを指摘されると投げやりな自分になってしまいます。先生の日誌の中で命に関しての見方はちょっとした希望みたいなものを感じています。
どんな希望ですか。ひとはこの世を去る時命の中に戻ってゆくと言うところです。
分かりました。私は今の言葉の中に多くを感じ取る事が出来ます。そのとおりです。今までの罪悪感のすべてを洗い流す事が出来る希望です。なぜかと言うと身篭った胎児の側からするとちょうどこんな感じになる。
途方もなく深い水泳プールの周りにたくさんの水着を来た若者がいるとする。その若者達が水の中に潜ろうとしている。ある者は潜ったまま70年ほど出てこない。あるものは潜ったが速いか潜水メガネをしていなかったのに気がついて這い上がった。・・・それだけの事だ。
あの時の胎児はすぐに水中から戻ったとおっしゃるんですか。いやまだ生まれ出ていなかったのだから水面だ。彼女の顔が笑っていいのか泣いていいのか分からない表情をしている。ただ気をつけなければいけないのは自己嫌悪に陥っているあなた自身だ。
それはいまだ生まれ出ていないにしてもその胎児を可哀想と考えもし感じもしただろう。そう観ることによりその胎児に可哀想なエネルギーが降りかかる。それと同時にあなた自身にも同等な可哀想なエネルギーを創り出す。それが可哀想な人生を創造する。
最近の日誌何回も読んでいますからよく分かります。ではどうすればいいのですか。
その可哀想とする思いは何度も知らず知らずのトランスの状態において表現されているはずだ。だが、そのトラウマはその状態において胎児と母親の間で同時に開放される。
トランスの技術を説明しその技術を使ってそのトラウマに焦点を絞り解放した。その後彼女はちょっとした軽快な感じがしますと言ってちょっとした希望をもって帰っていった。