白雲の道治療院

白雲の道治療院は、鍼灸術と量子場調整を用いて心身の健康面の向上、さまざまな症状や機能の向上、能力の増大に努めております。

白雲の道で美しく健康な体を!

CODE 007 2012-08-06 105355

No.007 - 序章 6

超微細な光

 外世界、つまり世間から言って、ほどほどの人間になって数年が過ぎ、その間にほどほどの出来事が過ぎ去った。その中身は大学受験、進学、大学院への進学だがそれ以外は何もなかった。
 
友達づきあいも、恋も、スポーツも、カラオケも、旅行や家族との団欒など、普通あるものが何もなかった。周りからは変わり者、人間嫌い、暗いなどと思われていただろう。しかしそのような事さえ、まったく気がつかないほど夢中になっていたものがあった。
 
それは内側の限りなく展開してゆく数学の世界やイメージの世界だ。その世界を探究心を持ちながらも好き勝手に展開していた。子供がビジュアル系のゲームにはまるのに似ているかもしれないが、そのビジョンは手を動かす必要もなく、どんな立派な映画映像もかなわない緻密さをもって意思に即して場面を変える。

 それをもう少し詳しく説明するとこのような感じだ。
 内側の世界に意識を投じると目の前に無数の超微細な発光しているように見える点が現れはじめる。その視界に向かってたとえば、「恐竜時代の世界に行く!」
と意思するとすぐに目の前にも後ろにも恐竜が遠くで騒いでいる世界が現れる。

 現れるというよりも自分の身体がその世界に転送されたかのような原初のエネルギーが満ち、植物のにおいも気温の体感なども現実感さながらの場の中にいる。
 
その中では二つの意識が明確にある。その世界のなかにいる自分と、部屋で目を閉じてゆったりとくつろいでいる自分。これは映画やゲームに夢中になって自分を忘れそうになっているよりもっと明確に2つの意識が同時に働いている。

 つまり主観と客観の二つの認識が同時に持続している。

 普通の夢も同じように色彩豊かに現実のように見ている人がいるが、ほとんどは夢から覚めてはじめて夢を見ていたことに気がつくだろう。しかしこの世界は意識が等分に注意深く行きわたっているのが違いだ。
 世に言う幽体離脱と似ているが、幽体離脱がその世界に対して受身的な傾向を持つのに対してこの世界は意識がその世界を包んでいるかのような能動性を持っ
ている。
 たとえば幽体離脱ではその世界の中に気持ちが集中されるが、この世界は同時に多くの可能性を認識しており、いつでも他の世界を開きそこに瞬間的に移動することができる。逆にいつでも何もない穏やかな世界にくつろぎ、精神的なエネルギーの充足を満たす事ができるため、顕わす世界に精神が翻弄されることがない。おそらくそれは、穏やかな空間が心の中のとても小さな微動さえしない一点に起因しているのだろう。


 もし、その内側の世界にキリストや釈迦が現れて、お前は特別に選ばれた弟子だとか、特別な力やお告げを授けよう、あるいは幸せや歓喜を味わう壮麗な世界の中にいても、心の奥深く楽しめる事ではなかった。
 
私の興味は何が真実なのか自分自身の意識で捉え、それを磨きこんで内側に現実を構築したい。端的にはこの内側の現実にからだごとシフト出来る基盤を構築したかったのだ。この思いが執拗に自身を駆り立てていた。

 しかし、このところちょっと落ち込んでいた。それが本当に求めている事なのか。

 量子論は最新の発見や理論も理解していたが、面白みが失せてもいた。私なりの量子の面白さは、もともと主観にある。客観的な発見やアイデア、目の前にいる対象に興味はなく、この当時の現代科学の最先端量子論の関心は以前とは少し方向を変え主観から客観に向かっていたからだ。

 主観とは自分自身であり、客観とは私にとっては外側の現実が求めている騒々しさだった。たとえば量子の研究によって多くの研究者たちは量子コンピュータや情報、物質の瞬間移動装置の可能性を追っている。それはそれですばらしいことに違いないが、一言で言うと社会の便利さとそれに伴う莫大な利益を考えているところがある。

 それは私にとっての量子論ではない。政治や企業にひれ伏しての量子研究はバ
カげて見える。自分にとって量子は自分自身の分身であったからだ。

 本当のところ何を求めているのだろうかと、あの酒場で思いをめぐらし、たまたまパラレルワールドの概念を考えていたとき、あのギョロメのオヤジに声をかけれた。

 「自分の体を含めた今、目の前にある現実をシフトする事なのだよ」
 このオヤジの言葉が心の中で回っていた。

 このあたりから、無意識的にあのオヤジを探しているのか、今までまったく気にもしていなかった通行人さえ1人ひとりの目をよく見るようになっていた。そのせいなのか、別の次元の問題なのか内側の世界が外側の世界と融合し始め、めまぐるしい人生の幕開けとなった。