白雲の道治療院

白雲の道治療院は、鍼灸術と量子場調整を用いて心身の健康面の向上、さまざまな症状や機能の向上、能力の増大に努めております。

白雲の道で美しく健康な体を!

CODE 006 2012-08-05 093425

No.006 - 序章 5

再構築

 もうひとつ咬合に関しての大きな気づきがあった。
 あごの歪みが頭蓋骨をゆがめていた事はうすうす感じていたので、歯科のかみ合わせ調整でひょっとしたら修正され得るのではないかと歯科医院に通い、治療を受けながら脳にかかる重苦しさと、身体の中の違和感の位置的変化を観察していた。
 

その経過は悲惨なもので治療を受けるたびに以前の吐き気や眩暈がもどってくる。これはひょとしたら好転反応かと自分に言い聞かせ耐えていたが、内側の穏やかな視界までも拒絶しているかのように揺れ始めた時、方針を変えた。
 
症状がより悲惨になるなら、好転することもあるだろう。しかしそこの歯科医院は何が好転に結びつくか理解しないで治療を続けている。少なくとも私は治療側の歯科医よりも症状の変化を内側の視点から追い歯列の構造と脳や身体の関係を自分なりに調べることが出来る。そう思って歯科医には気の毒だったが私の観点から治療してくれる歯科医を必要としたのだ。

 食べ物を噛み砕くための歯列というなら、歯科の先生に任せておけば何の問題もないことはわかっていたが、私のように脳に影響を及ぼしているケースを治してもらおうとしても難しいことも理解していた。

 だから私は治してもらおうと思ったわけではなく、ここに法則性を見つけ出そうとして懸命だった。
 顎位つまり顎関節の所定の位置が身体と心の中心的な接点であることは内側の視点からも、理解していたが、それらの間の法則性は皆目見当がつかなかった。

 その後、この町の歯科医院のほとんどを訪れて治療を依頼したが、そのほとんどは私を普通には見ていなかったにちがいない。なぜなら、やっと歩いてきた風な、若者がゆがんだ入れ歯をしてシドロモドロの発音で、何本かの残った歯列のある位置をどのぐらいの深さ角度で削ってほしいなどと言うものだから、どんな歯科医も気持ちの良いものではない。おまけに歯を削った後に咬合紙でどの位置がどのように変化したかを細かいところまでを問いただすのだから、どんなジェントルマン先生でも態度が一変する。

 毎回そんなことになってしまうので同じ歯科医院には通えなかった事情がある。
 しかし、おかげで私のほうは大きな収穫を得た。内側の視点から口腔や顎関節周辺を観察していると歯列を削ったその瞬間に微細な粒子の群れが瞬間的にある法則をもって移動している。

 逆にその粒子の群れ、これを量子群と仮定したが、その群れを観察し意図的に展開すると歯列の力学を変化させ顎位を再構築することが出来る。
 不思議な事にその微細な群れは意思に即して変化する力があるのだ。これを大上段に構えて言うなら身体や脳に及ぼす影響は歯列の構造を介して意思と量子の力学に従う。

 その過程の中で咬合に関しての現代歯科はまだ初歩的な発展の途上にいることにも気がついた。それは無理のない話しだと思う。彼らは、自分の歯列を意図的に削ったこともなく、その変化を自分の脳や身体に映し出したこともないのだから。それに内側の視点を誰しも有していないように歯科医の彼らもその観点を持っていない。

 多くの場合、上下の歯の間に赤い咬合紙を挟みその色具合で歯牙を削っているいるだけだ。それでは物理的な観点しか理解できないし、歯列を模型状でいくら観て分析しても物理の半面しか知りようがない。
 
この精神薬と歯列の咬合の二つは自ずと自分自身を徐々にほどほどの人間へと
開放した。

 今思うと簡単なことだったが、学術的には難しいことだろうと思った。
 おそらく現代医学はこのことに気がつかないままなのだろう。このことに気がつかないなら、人は命を落とすまで悲惨な状態を強いられることになるに違いない。
 
外側の現実を生きている人たちには、なお更、気がつきにくい盲点がここにあるとも思った。

 誰も内側の視点を垣間見るほどにしか持っていないのだから無理もない。それにも増して医療が営利化している。
 なんて浅はかな事かとも思ったが、逆に自分はいつか元気になったとき、私のような状況にいる人たちの役に立てるのかもしれないと、ちょっとした外側世界や社会への希望を見ていた。