白雲の道治療院

白雲の道治療院は、鍼灸術と量子場調整を用いて心身の健康面の向上、さまざまな症状や機能の向上、能力の増大に努めております。

白雲の道で美しく健康な体を!

CODE 004 2012-08-03 170515

No.004 - 序章 3

内側の視点

 あの事故以来いつも考えていた。現実とは何かと。

 激しいめまいが理由もなく荒れ狂い一歩もあるく事が出来ず、目を開けると今にも押しつぶされそうな頭痛がその後を追うようにやってきていた。その状況のなかで現実的なものは何ひとつ見つからなかった。

 しかし、少しずつ気がついていった。目の前を見ていると視界は相変わらずぐるぐる回っているがそれを観ている自分自身の意識は揺れていない。廻っていると知るためには動いていない基準点があることになる。揺れていると思っていたのは自分の身体を含む唯一の現実と思っていた外側の世界で、意識を客観的に使って見続けると心の中に一点動かないポイントがある。その位置に頑なに気持ちを置いていると周りが嵐のようにふきあれていても平穏にいられた。
 

それは自分の身体や自分の眼さえも自分自身の現実ではないという観点に立ってからのことだ。そこには死を思う恐怖に近いものがあったが、意を決しその一点に飛び込んだ。
 驚いたことに、その恐怖とは裏腹にもっと大きな平穏がそこにはあった。その平穏は果たして現実なのか、非現実なのか、それとも頭の脳細胞が固まってぼけ
老人のように何も感知できなくなったのかその判別はつかないままの状態で数年が過ぎ去った。

 その状態には変わった特異性がある。何もないのだが、心の中の思いが、目の前のスクリーンに映し出される多重的なスクリーンがある感じだ。

 たとえば、1プラス1はとイメージするとその数式が目の前のスクリーンに映し出される。母親のイメージを追いかけるとそこに以前よりもくっきりとその姿を映し出すことが出来るし、その面影を立体映画のように展開することもできる。

 はじめはぼんやりとだったが、少しずつ精度が増してくるにしたがって現実感を感じるようになった。
 その中で遊ぶことが自分の現実になったが、外側の現実に背を向けたわけではなく、何とかその活路を見出そうとイメージを展開していた自分もいる。
 そのような中で思った。事故前、はつらつとしていた時は外側の現実を唯一の現実と思ってがんばって生きていた。いまは心の中の世界をがんばって生きている。実在としての現実は確かに外側にあるのかもしれない。しかしがんばって思いを込めて生きているのは両方ともに同じだ。
 
ならば、私は現実を見失ったわけではない。そう思って自分をなぐさめた。
 嵐のような揺れ動く周りの世界から垣間見える外側の世界を見ながら、周りを類推もしていた。ちょうど外側社会に重きを置いている普通の生き方の場合、現実世界を基盤に想像やイメージの世界を垣間見ているのと反対なのかもしれない。

 この視点からは数学のような世界は手に取るように理解できた、このイメージの領域は以前よりも高いレベルに容易に達したと思う。
 
毎日毎日この数学世界を模索していながら、ちょっとした量子論の数式を揺れる視界から垣間見たとき、内側の世界がぴったりと整合するのを観た。そのとき身体全体が妙に静まり意識の深いところから何かが波のようにやってきていた。
 
このとき量子は心の世界に限りなく近く、自分の内世界と外側の世界をつなぐ橋であることを認識した瞬間だった。この認識がなかったら私はいまだに外側から見て車椅子の上の廃人のようにいただろうと思う。

 身体の方はというと一言で言うと置いてきぼりだ。奥歯の数本を残してほとんどが歯根から損失していたので入れ歯になっていたが、その入れ歯が合わないだけではなく、あごの関節も一部欠損しねじれたままで話すことも容易ではなかった。そのせいもあり、顔はあごの下半分が右側にかなり歪んでいて、鏡を見るのもいやになっていた。

 もっとも眼や脳のほうもゆがんでいたのでどれほどの歪みかは7、8年後外側世界を少しずつ取り戻してから判別できたことだ。

 初めのころ知人やクラスメートが交代でやってきていたが、こちらのあまりの変わりように彼らも、以前のようには話せなくなっていた。彼女もいたが、現実とのつながりを失っている自分の状況からは同じような付き合い方が出来ない歯がゆさのなかでいつしか来なくなった。