院長のつれづれ日誌
7月31日(木) 天候 晴れ
月2回6ヶ月の期間で行った女性の量子場コースが終了した。
始めのころほとんどの参加者は、何をどのように理解する事になるのか、そもそも
量子とは何かなどチンプンカンプンであったが、量子場調整術を習得しようとその意気込みは立派なものがあった。
その意気込みに応えるべくしてこの6ヶ月を終え、本当に爽やかな日を迎えること
が出来たことは私にとってこの上ない喜びだ。
参加者8名のうち1名だけが、仕事の関係で最後まで参加できなかったが、他7名は
先日行った認定試験にみんな優秀な成績で合格し曲がりなりにも路上運転に許可を出
すことが出来、またほどほどに使いこなせるまでになった。
路上運転とは認定試験に合格するまではこの技術は「道場である当院以外では使わ
ない事」と禁じていた。なぜならこの量子場調整術はエネルギーとしての本質を動か
すものであり、その切れ味が鋭い事の責任を認識する必要があったからだ。
今後は9月より月一のペースでアドバンスコースに移行し、専門家の量子場講座1年コースと合流もする事にした。
彼女たちは難解な量子の世界を女性の観点から理解し、その直観によって量子を変化させることさえ始めている。そのような彼女たちに、これからは専門家講座の終了を待って量子場調整術免許皆伝なるものに励んでもらおうと思う。
今までの量子場講座は彼女たちからの願いであったが、これからはこちらからの是非ともその力をさまざまな問題を抱えて足踏みしている人たちを助ける力を有したすばらしい女神になってもらいたいという願いであり、アドバンス講座の費用は全額無料にすることを伝えている。
きっと近いうちに本当に女神のような力となって現実になることだろう。
認定したばかりの一週間後のつい最近、先日の26,27日(土、日)なのだが東京ビックサイトでの癒しフェアに彼女たちの数人が参加しし、心理カウンセリング量子場で出店した朋美先生は延べ三十人もの方々に施術を行って好評をえたとのこと。正直、驚いている。
私も顎位と歯の噛み合わせ調整で少し離れたブースで参加したが、二日とも午後には予約が一杯になってくたになるまで頑張りみんなといっしょに帰ってきたとても楽しい思い出になった。
彼女達には九月から始める予定になっている同じく女性のための量子場コースに先輩として大いにその力を奮ってもらおう。
6月10日(火) 天候晴れ
ある、ねずみの迷路実験を見ていてとてもおもしろい事に気がついた。
はじめ簡単な迷路の中にねずみを入れ、数匹のねずみの達成時間を計る。回を重ねるごとに優秀なねずみはその都度その速さが早くなるが、劣勢のねずみは回を重ねるごとにその時間は早くはなるが、すぐに頭打ちになってうろうろ時間だけが過ぎてゆく。
しかし、ここで劣勢のねずみの迷路の中に穴ぼこやがびょうなどのちょっとした恐怖を設置する。そのままだと達成時間は遅くなるだけだが、その恐怖を超えたところにチーズやちょっとしたご褒美を置くと、その難関を越えるたびに達成時間が徐々に早くなり、ご褒美のない複雑な迷路でも優秀なねずみに負けない時間を達成する傾向があるという。
この結果をわたしなりに考察し、おもしろい事に気がついたという点は、人も同じ人生の迷路の中で、もしちょっとした恐怖を超え、そこにちょっとした喜びがあるなら、人も同じく成長するのではという事。
先記事の秋葉原事件の加害者は、誰しも向かい合う人生の迷路の中で、その恐怖に向かったのではなく、逆に弱い通行人や、その車で怪我させた人に襲いかかって更なる犯行に及び、先の朋美カウンセラーは、彼女なりの同じ様な迷路の中で芸能関係のオーデイションというちょっとした恐怖や難関を超え頑張ったと聞いている。
誰しも問われるところは、迷路の中で何を考えるかよりも、どのように自分自身の潜在した恐怖に立ち向かうか、なのかも知れない。
ある人が言っている。
自分自身を制圧し征服せよ。
これはちょっとしたら自分自身のちょっとした恐怖からもっと潜在した恐怖を制圧する事なのかもしれない。その事で、おそらく上記の劣勢のねずみのように拡大した能力と視点が得られるのではないだろうか。
最近、毎週日曜、量子場講座が花盛りだが、講座の後にワインセレモニーなるものを行っている。回を重ねるごとに功を奏しているように思う。
それはちょっとした未知なる講座という難関を越えた後のちょっとしたご褒美になっているかのよう。もちろん当のわたしが一番喜んでいるが。
4月22日(火) 天候 うす曇の気持ちの良い一日
前回の感性豊かな女性達の講座女神量子場調整講座の中で自分で説明していながら、自分の中で気がついたすばらしいことがある。
それは基本的な人間関係の問題である集合意識について説明していた時の事だ。
私たちは誰しもある意味、グループをなしていて例えば自分の家族とか、友人、仕事仲間というように気持ちの中で無意識的に多重的なグループを作り、自分はいつも一人ぼっちでそのような事はないという人も、人間というグループ意識を、あるいは地球人という同胞的なグループの中にいるのだから集合意識が自分にはないという例外は少ないと思う。
その集合的意識をどのように変え得るかを次回講座の準備として説明していた。
例えば人間関係を意図的に変える事が出来ればそれはすばらしいことだが、それはある意味支配的になるのだろうか。そのように自問自答していた時、そのような事に近いが歴然と異なる事にも気がついた。
このあたり、ちょっと複雑かもしれないが説明してみよう。
確かに人間関係を含めた対社会、対食べ物、対自分の周りの環境などを一個人の意思により変え得る力は誰しも驚くべき力として持ち合わせているが、その使い方をイメージ、あるいは量子場の法として知らない。知らないというよりも知り得ないようなところがある。
なぜかというと、自分と人や他の存在との関係を勘違いしている可能性がある。
集合的な意識は自分が常にその一員としているが、普通人間関係や対物の関係は自分と他者が対峙していると思ってしまう。
もし、他者と自分がその関係において対峙していると思うなら集合意識を変化させる事は出来ない。敵対とまで行かないまでも対峙関係にあるなら、その関係においては支配的にならなければ変化させることは難しい。
集合的な観点とは自分も含めた両方ともその中に包んだ第3者を超えた包み込む意識の事だが、この観点が欠けているなら集合意識は変化できない。
逆にこの包み込む大きな意識の中でなら自分の周りの多くが当然のごとく変化を始める。しばらくは自分の右手と左手が戦ってどちらが勝つか興奮してしまう愚かさがあるが、すぐにこのとてももすばらしい実感と理解につながる事と思う。
次回の女神の講座はこの驚くほどにすばらしい集合意識レベルの量子群に焦点をじっくりと合わせ、参加している女神たちにふさわしい力を紹介してみよう。きっと遠い昔に熟知していた能力を思い出すだろう。