白雲の道治療院

白雲の道治療院は、鍼灸術と量子場調整を用いて心身の健康面の向上、さまざまな症状や機能の向上、能力の増大に努めております。

白雲の道で美しく健康な体を!

[No.368]失われる男性エネルギー
2004年10月26日(火)

10月26日(火)天候晴れ
最近、私の世代にはなかった不思議な事が若い男性の中で起こっている。
昔、子供のころ畑からもぎ取ったばかりのトマトをたいした洗いもせず、そのままかぶりついて食べていたが、その味が何とおいしかったものと今の一般に売られているトマトと比べて思う事がある。今の都会の子供達は野生的な取りたてのトマトの味はトマトに感じないのかもしれない。
この程度ではたいした問題ではないが、もし、若者が本物の女性よりもテレビやビデオの女性しか性欲を感じないとすると、これは女性や社会の大きな問題だ。
コンピュータゲームや仮想ゲームが流行る中、本物よりもバーシャルな面白さに突入しているこの時代、最もその影響を受けているのは女性ではなく男性であると思う。
女性は男性よりも直感を生きているようなところがあるので、それほど影響は受けていないと言われるが、反面男性の求める映像のイメージに合わせようと躍起になっているならそうとも言えない。
火曜に定例のようにやってくる作家一行のグループで私が話をこの路線に炊きつけるせいか性エネルギーの処理について話がちらほら出るようになっている。
私はそのエネルギーを処理するのではなく、上昇させるべきだと説くがその辺はまだあまりかみ合わない。以前、映像画面からは電磁波が出ているがそのそばで性エネルギーの処理は止めたほうがいい。だんだんとエネルギーが下降する。上昇させることで健康で、精神的にも現実に焦点が合うことになるが、下降する事で身体も精神も衰退するということを証明しようとしたがうまくいかなかった。最近では彼らも話の中では同意してきているようだが、実際問題としては絵に書いたような形のいいトマトがトマトなのだろう。
私的には何と言っても本物のトマトが一番なのだが、一般的にイメージがトマトでないならそのトマトはトマトではなくなる。
同じように本物の女性を見て画像のイメージに合えば女性と感じるような事はこれに似ていないだろうか。
農村でも生きの良いトマトでも形が悪いと捨てられてしまうが、本物のすばらしい感性を持った本物の女性よりもイメージを女性とするならその事で失うのは男性の生命エネルギーだ。