
[No.204]観
2004年04月02日(金)
4月2日(金)天候雨
観る者と観られる者の関係においてその共通項として観がある。
それは観る自分がいるが、観られる身体もあると言う事だ。
観る事は本来、自由自在があり、観られる事はそれから逃げる事も顕示することも出来るのだから臨機応変なところが在る。
もし、自由自在に観る事が出来るなら、観たそれらはいずれその観る事を通して目の前に現れる事になる。
また観られた自分の身体はいずれそのように観た者によってそのように変化してゆくだろう。
例えば親や付き合っている人に愛を観るならそこに愛が現れてくる。
逆に不満を観るならそこに不満がエネルギーと形を持って生まれ出てくる。
また人に美しいと観られることによって身体はより美しくなってゆく。
逆に老人のようだと観られることによって老化を加速している。
単純なこの観点を私たちは見逃している。
確かに意識的な努力が実を結び、現実に自分の人生や身体を創造してもいる。
しかし無意識からの創造力は単純にもこの観、観られることから生まれ出ている。
この事に気がつき、その道理を実感するなら女神の技術というものが真実性と力を帯びて来るのではないだろうか。