白雲の道治療院

白雲の道治療院は、鍼灸術と量子場調整を用いて心身の健康面の向上、さまざまな症状や機能の向上、能力の増大に努めております。

白雲の道で美しく健康な体を!

[No.79]無意識からの波
2003年11月04日(火)

11月4日(火)天候晴れ
意識と無意識、その大きさにはかなりの違いがある。意識は宇宙に浮かぶ星々だとすると無意識はそれら包む宇宙の空間全ての大きさを持っている。それは部屋の中に転がっているごま粒と家全体の大きさ程の違いがある。
無意識からの波が意識に向かって押し寄せ物事が創られる時それを私たちは創造と言っている。意識的に創ったものよりも大きな力が働いているからだ。
ある本がさまざまな本からの抜粋でつぎはぎして創られたものであるなら、いくらそれが正しくともそれは創造とは言えないが,文豪トルストイやシェークスピアのように内側から溢れ出るように書かれたものであるならそれは創造だ。
音楽にしてもモーツアルトやベートーベン,絵画ではゴッホなど多くの天才たちは押さえるのは難しい程の創造の思いにかられていた事が報告されている。
同じ事が身体や人生にも言える。もし、それらが人に模範を示すほどの正しいものであっても内側から満たされていないなら、さまざまな本からの抜粋で創られた立派な本と同じ事になる。それはそれで問題はないがそれは喜びを伴った創造ではない。
私たちは意識と無意識の間を振り子のように行き来する者であるなら無意識からの力を伴って創造する者になるのは自然だ。なのにどうしてそうはならないのか。
その理由は複雑で込み入っているが、一つには無意識が意識よりも大きいというのを忘れているからではないだろうか。
ちょうど船が小さな氷の山だと思ってぶつかると船が簡単に壊れてしまう事がある。この氷山の下に見えないが何倍も大きな氷の塊があるのと同じだ。
しかしそれよりも私たちは無意識そのものを価値あるものとして認めていないのかもしれない。
この日誌の中で無意識という言葉を頻繁に使っているが,一般的には無意識という言葉を悪い意味で使っている場合もある。例えば先生が生徒に無意識になってなってはだめですよ。という風に。
それはそれで正しいがここでは、意識の後ろに隠れている広大な意識の事を言っている。
午前の終わりごろ架空の人Oさんがやって来た。
軽い調整とイメージトレーニングの後雑談。
最近どうですか。身体の具合は悪くはないのですが,何をやっても愉しくないんです。
どんな風にですか。人間関係が辛くなるときが多いんです。
例えばどんな人間関係ですか。会社の上司や彼氏です。
そこに共通しているものがありますか。何となく邪険にされている感じがするんです。
それは人間関係の中でも一番辛いかもしれませんね。わたしは一生懸命にやっているつもりなんですが,その手答えが前のように相手から返ってこないし、全然感じない。
なるほどわかりました。ではこんな感じになっている可能性がある.
相手や人のために一生懸命やっている。相手の状況を見て相手に良かれと思う事を自分の観点からがんばっている。そこに問題は無い。しかし身体の中で湧き上がる喜びが自分の中にない。だから相手の中にそれを探そうとする。探そうとすればするほど自分の一生懸命な努力に見返りが無いのに不満が募る。その不満が相手に無意識的に見えてしまう。
そんな感じかもしれません。ではどうしたらいいのですか。
今はきっとボーっと一休みしているときや眠っている時、ただ疲れを取る事のために使われている。
そうだと思います。彼氏は私がそんな時の姿が美しくないとよく言いますから。
それでは自分の持っている無意識の力を創造には使っていない事になる。子供の眠っている姿が人を和ませる美しさがあるのは過去ではなく,未来を夢見ているからだ。
こうしたらどうだろうか。仕事をする前に一休みしてビジョンを描く。そうすると一休みしている姿が美しくなり、仕事の中でエネルギーが湧き上がるから全てが解決する。
今までそんな事を考えても見ませんでした。やってみますとOさん。始めが間違うと終わりも辛くなる。始めは無意識に波を創りだす事から始めると終わりも楽になる。